大学全入の成れの果て

大学入試センター試験難易度別の二種類にする検討が始まるらしい。
事業仕分けでも取り上げられた独立行政法人大学入試センター」の起死回生の業務拡張なのかもしれないが、「センター試験簡易版」の導入検討は、日本の高等教育制度の失敗を端的に示すものだろう。

asahi.com(朝日新聞社):センター入試、難易度別に2種類 16年導入を検討 - 教育

センター試験は、国公立大学共通第1次学力試験として行われていた試験であり、その後、大学共通第1次学力試験へと名前を変え、現在のセンター試験へと変わってきたという背景がある。

センター試験(WikiPedia)

要するに”国の高等教育機関”への進学への登竜門であり、そのための学力試験なのである。

高等教育の現状

わかっている話ではあるけども敢えて書くと、日本の教育では”中学校”までが義務教育となっている。つまりは”高校”や”大学”といった高校以降の高等教育に関しては義務ではない。本来の目的である高等教育の獲得が不必要なのであれば行く必要がないとも言える。
ただ、その高等教育を受けなければ、結果としてある程度の就学経験がないと就職がなかなかないという問題であったり、あっても求めた職にはなかなか就けなかったりというのも事実ではある。
つまり、現状の高等教育は、社会側からすれば旧来の義務教育と同等に扱われてしまっているのが現状なのかもしれない。

入れ物が大きいことに越したことはない

教育を受けたいと考え、そのために努力し、一定学力に達して高校や大学、大学院に進学するのはことさら問題ない。そのための努力は必ず人生のプラスになるだろうし、決してマイナスにはなることはないだろう。そしてそのとき、受け入れるための入れ物(大学側の引き入れ)が大きいことは問題にはならない。むしろよいことだろう。しかし今回の検討は、入れ物側(大学)が学生に、その一定学力に達していなくても入学できるようにするための措置のように思える。
ただでさえ「大学全入時代」といわれるほど劣化した日本の大学教育の現場を、さらに劣化させる可能性はないだろうか?一定学力に達するための努力を放棄し、モラトリアムを過ごすために大学に入学する学生を増やすことは果たしてよいことなのだろうか?そうなったときに、後者の大学は本当に価値があるといえるんだろうか?

明日の日本のことを真剣に考えてるのは気象庁だけ

Twitterで「今の役所で明日の日本のことを真剣に考えてるのは気象庁だけだ」という発言が流れていた。

lunaluzoscuro(ギンヤ):教師「今の役所で明日の日本のことを真剣に考えてるのは気象庁だけだ」 9:39 AM Oct 25th
http://twitter.com/lunaluzoscuro/status/28644206987

今回の文部科学省、及び、独立行政法人大学入試センターの検討開始の決定は、それを顕著に現している気がする。

受験生の質も変化。個を重視する教育のため、普通科高校の卒業単位に占める必修科目の比率が減り、共通の科目を学ぶ受験生が減った。
その結果、難関大学ではセンター試験での結果で差がつかなくなり入学者選びに役立ちにくい一方、学力が一定程度に達していない受験生には問題が難しいという指摘も出てきた。同一試験で全体の学力を把握するのが難しくなっていると指摘され、早めに手を打つ必要が出てきた。

現状としては、学力の層にばらつきが発生してきていることに対しての対応という印象だ。
しかし本当の問題は、ばらつきが発生していることではなくて、学力の層の引き上げが出来てないことが一番問題だと思うんだが。