他人に自分の気持ちなんてわかりっこないんだよ

「他人に自分の気持ちなんてわかりっこないんだよ」
追い詰められたときにいつも自分に言い聞かしている言葉。

追い詰められてるときって、何やってもうまくいかなくって、
どうしてダメなんだろ…
どうしてうまくいかないんだろ…
って悪循環なっちゃうんだよね。

そんなときは自分に
「どんな頑張っても、他人に自分の気持ちなんて100%は伝わらないよ。」
「いずれ伝わる時がくる、伝わる人が現れるから、気楽に行こうよ。」
って落ち着かせている。

「しょうがないよ、他人だもの」

このネガティブに感じられるニュアンスが、自分には結構役にたってて、
急に肩の荷が軽くなってうまくいく事もあるし、
うまくいかなくても精神的なダメージや苛々は最小限に抑えられるようになった。




じゃあ逆に、自分は他人のことをわかろうとしてるんだろうか?

普通の人なら絶対他人のことをわかろうとしてるはずだよね?
例えば家族、恋人、子供、友達、ペット、…いろいろな対象があると思うけど、
その人のことを想って、その人のことを精一杯理解しようとして。
それが愛情になったり友情になったり、いろんな感情の源泉になってると思う。
だから、相手のことがわからなかったら悲しいし、わかったらとてもうれしい。




「他人に自分の気持ちは伝わらない」
「自分は他人のことを知ろうと努力している」

この二つの真逆の言葉が持ってるものって、結局ひとつだと思うんだよね。

自分が「思いが伝わらないなぁ…」って思ってるときって、
きっと相手も「彼のことよくわからないなぁ…」って思っていてくれてるはず。
自分が「何考えてるか、何思ってるかわからないなぁ…」って思っているときって、
きっと相手も「伝わらないなぁ…表現が悪いのかな…」って思っていてくれてるはず。

たまたまピースが合わないだけ。歯車が噛み合ってないだけ。
きっとその歯車もいつかは上手く噛み合う時がやってくると思うんだ。




「何考えてるかよくわからない」ってよく言われる自分だからこう思うのかもしれないけど、
コミュニケーション能力の低い自分のことを理解しようとしてくれる人がいるってことがうれしい。
この二つの真逆の考え方を意識するようになって、尚のことうれしくなった。


きっと自分の言葉は伝わってない、正確には伝わらないと思うけど、
相手がそう思ってくれてると思うだけで、今の自分の存在価値を感じられる気がする。